市指定文化財-無形民俗文化財
更新日:2021年8月20日
山田大名行列(文化財一覧 No.43)
- 読み方 ヤマダダイミョウギョウレツ
- 指定日 昭和43年6月22日
- 所在地 本吉町山田
- 管理者 山田大名行列組合
文政4(1821)年、山田地区に疫病が流行した際に、御嶽神社に平穏を祈願した記念として、松ヶ沢屋敷遠藤重右ェ門外数名が折壁の藤原六兵衛に習い、更に涌谷の行列や江戸に赴き島津公の行列を見学して、山田独特の芸能を作り上げた。色鮮やかな綿入れ半纏をまとい天下泰平、五穀豊穣、無病息災を願って行われる勇壮な行列が特徴で、古くは隔年旧暦9月22日、花見橋まで神輿を出迎え、翌23日は取居崎より金剛寺、登米沢海岸へと神輿に随行した。旧来は世話宿があり、山田、桜子の有力者により順番に行ってきたが、戦時中公開が休止され昭和23年に復活したのを期に、世話宿制を廃止し、山田大名行列組合に改めた。現在では3年に1度公開されている。
塚沢神楽(文化財一覧 No.44)
- 読み方 ツカザワカグラ
- 指定日 昭和50年4月18日
- 所在地 塚沢
- 管理者 塚沢神楽保存会
神楽は、元来、法印たちが神々の姿にふんして、神話の世界を演じたもので、明治以降、民衆にも浸透し各地で演じられるようになった。塚沢神楽は、東磐井(現・一関市東山町周辺)でおこり、宮城県北と岩手県内にかけて広まった南部神楽の流れをくむ。太鼓と手びら鉦の音にのせて舞手の唱える民謡調のせりふと舞い振りによって物語が進行するのが特徴。旧暦6月14日、八雲神社祭典に奉納している。
小鯖神止り七福神舞(文化財一覧 No.45)
- 読み方 コサバカドマリシチフクジンマイ
- 指定日 昭和53年9月1日
- 所在地 唐桑町上小鯖
- 管理者 小鯖神止七福神舞保存会
七福神舞は古くから慶事の席などに招かれ舞われる。昭和23(1948)年から、航海で主人の留守を預かる婦人たちが舞う女性だけの七福神である。太鼓、笛、鉦を鳴らし唄手のはやし方にのせて神々が次々に舞う。大黒天は豊年万作・子孫繁栄・万世平和を願い、恵比寿は大漁を祈り、福禄寿は家内和合、毘沙門天は四方八方の厄を払い、寿老人と布袋は仲良く長寿を、弁財天は無病息災を願ってそれぞれ特色ある特技を演じる。
宿打ち囃子獅子舞(文化財一覧 No.46)
- 読み方 シュクウチバヤシシシマイ
- 指定日 昭和53年9月1日
- 所在地 唐桑町馬場
- 管理者 宿打囃子獅子舞保存会
唐桑町宿に伝わる打ち囃子は、享保年間(1716-1735)から唐桑地方に伝わったと言われている。「けんか祭り」としても知られる早馬神社の祭典に浜の大漁五穀豊穣を祈願するため奉納されてきた。大太鼓、小太鼓、横笛の打ち囃子に合わせて、2組の獅子舞がついているのが特徴で、これに娘手踊りや菊人形山車が加わり豪華な出し物として神社の祭りに彩りを添える。
只越七福神舞(文化財一覧 No.47)
- 読み方 タダコシシチフクジンマイ
- 指定日 昭和53年9月1日
- 所在地 唐桑町只越
- 管理者 只越芸能保存会
祝い事の席などで祝福の芸能が広く行われているが七福神舞もそのひとつで、只越七福神舞は、江戸時代末期、岩手県気仙地方から小原木地区を経て、只越地区に伝えられたといわれている。特に古風な形を残しており、地区の漁師たちによって大漁を願って舞われていたが、のちに七福神の中でも弁財天だけは女性によって演じられることとなり、現在も地区の子ども達に受け継がれている。
鮪立大漁唄込(文化財一覧 No.48)
- 読み方 シビタチダイリョウウタイコミ
- 指定日 昭和53年9月1日
- 所在地 唐桑町上鮪立
- 管理者 鮪立大漁唄込保存会
延宝3(1675)年、紀州和歌山から和船5隻が鰹群を追って唐桑沖まで北上し、鮪立港に入港。地元古館家の先祖勘右衛門は彼らを温かく迎え入れて鰹溜め釣り漁法を学び、当地方に導入した。古館家は「三陸地方鰹一本釣り発祥の地」である。
鮪立大漁唄込はその当時から唄われた作業唄でもあり、入港を待つ家族に大漁を知らせ、水揚げ支度を促す伝達手段の役割も果たした。大漁に挑む浜の男の心意気を表現した大漁唄込は、漁村の様々な慶事に欠かせないものであり、鮪立大漁唄込は大漁唄込の原点として、櫓櫂を漕ぐ拍子にあわせた、ゆったりとした曲調を頑なに守り続けている。
岩井崎明戸虎舞(文化財一覧 No.49)
- 読み方 イワイサキアケドトラマイ
- 指定日 平成30年6月12日
- 所在地 波路上原・後原
- 管理者 岩井崎明戸虎舞保存会
明治期、岩井崎に隣接する旧明戸集落に伝わった芸能。三陸沿岸南部に伝承されている虎舞の系統に位置付けられるが、大締太鼓の上での躍動感ある虎舞や、「抜き桴(ヌキバチ)」と呼ばれる囃子手たちのダイナミックな桴捌き、囃子に彩りを添える手踊りなど、芸態や演技に独創性がある。
旧明戸集落は明治29(1896)年の三陸大津波によって壊滅的な被害を受け、上町と呼ばれる現在の気仙沼市波路上原・後原地区へ集落を移動。さらに平成23(2011)年の東日本大震災でも道具類を流出する被害を受けたが、翌年には活動を再開した。幾度もの災難に見舞われながらも再興を繰り返してきた岩井崎明戸虎舞には、地域との強い繋がりが保たれている。
崎浜大漁唄込(文化財一覧 No.50)
- 読み方 サキハマダイリョウウタイコミ
- 指定日 平成30年6月12日
- 所在地 唐桑町崎浜
- 管理者 崎浜大漁唄込保存会
三陸沿岸南部に伝わる大漁唄込のひとつ。港に近付く頃から皆で櫓を漕ぎながら唄う「前唄」と、港の入口から船足をゆるめ、声の良い者一人が唄う「後唄(本唄)」がある。唄込は鰹船と大謀網(大網)のどちらでも唄われるが、「前唄」は共通でも「後唄」の節は全く相違しており、この異なる二つの唄を保持伝承していることが崎浜大漁唄込の最たる特徴である。櫓を漕ぐ際の掛け声は「櫓声」と呼び、鰹船は「ユイドハー」で大謀網は「ヨイドコラサ」である。
櫂で拍子をとり、松竹梅や波・鰹などが美しく描かれた大漁カンバンを纏った唄い手たちが大漁の誇らかな心持ちを朗々と唄い上げる大漁唄込だが、近年は櫓櫂を漕ぐ機会は減少。現在では船上で「唄込」を唄いながら入船することはなくなったが、祭礼や祝いの宴席で唄われる「ハレの日」の唄として受け継がれ、保存伝承活動が続けられている。
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